その他旅行
広島
広島への長旅
今回は、しまなみ海道を通り、車で
広島に行く事に。
友達の車で家を8時半に出発して、三島川之江インターから高速を通り、
今治市湯ノ浦インターで一旦高速をおり、再び今治インターからしまなみ海道へ。
最初に通った橋は、来島海峡大橋、来島海峡大橋は3つの
長大橋梁により構成された世界初の3連
吊り橋であり、全長は4105mです。
その来島海峡大橋を爽快に走り、愛媛県側にかかってある
伯方・大島大橋 、
大三島橋を渡り、広島県側にかかってある橋の
多々羅大橋、
生口島大橋、
因島大橋、尾道大橋・新尾道大橋を次々に走り本州へと突入。

西瀬戸尾道インターチェンジで一旦高速をおり、少し下を走り、福山西インターから
山陽自動車道を上り、午前11時半に広島東インターで高速を降りました。
そこから下を通り、広島市内で行われる車の
オフ会の会場へと向いました。
オフ会で始めて会った人達と2、3時間ほど楽しい雑談等をした後に
広島平和記念公園に行く事に。

平和公園、原爆ドーム、原爆慰霊碑、原爆資料館
広島平和公園には車で約1時間で到着。
まず最初に見たのが、
原爆ドーム。
原爆ドームは、昭和20年8月6日、史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸です。
爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発しました。
その1個の爆弾によって20万をこえる人々の生命が失なわれ半径約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化しました。
この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため、国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施し、これを永久に保存しています。

原爆ドームを見た後、原爆慰霊碑へと向いました。
原爆慰霊碑は、はにわの家型につくられており、犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちをあらわれています。
そこに安置してある石棺には、姓名の判明した被爆死没者約10万柱(1983年現在)の過去帳がおさめられています。
しばらく平和公園を見渡した後、今度は広島平和記念資料館内へ。
資料館には、当時の被爆者の生々しいやけただれた衣服等の展示物や遺品が多く展示されていました。
私は、これらの生々しい展示物をゆっくり時間をかけてみました。

むごい、誰がこんなことしたのか。なぜこんなことしたのかと問いかけたくなります。所詮戦争は無責任な行為よって起なわれ、犠牲者は報われないと思う。
こんな悲しい現実があるのに、なぜ次から次へ戦争が起こるのか。
戦争って過去の体験がいかされていないおろかな行為。
本当は誰もが幸せを願っていると思うのに、悲劇は繰り返され、どうする事も出来ない事実なんだろうか。
幸せだった日々が、信じられない出来事で町は一瞬の内に地獄絵図と化し、無残にも焼けてなくなりました。
広島に原爆投下されてから60年以上たち、原爆投下された中心部は、今美しい緑の自然に生まれ変わっています。
被爆を体験した人たちも年々少なくなり、若い世代には遠い過去の事として忘れされれるのではないかと不安がよぎります。
我々は広島に原爆を落とされた事実を後世に伝えていかなくてはなりません。それが生きている一人一人の使命だと思う。

広島平和記念公園を後にして、紙屋町本通り商店街へ車で移動。
商店街を歩るいていると、お好み焼き店があったので、そこで広島名物の
広島風お好み焼きを食べました。
さすが本場のお好み焼きは凄く美味しかったです。